0.5ミリの長さに揃え終えると、私はその美しい曲線を眺めながら、親指で四つの爪先の滑らかさを心地良く味わった。
男だからと爪切りでぱちぱちと角を作りながら乱暴に切る人もいるが、私は必ず、やすりで整えるという習慣を自分に課していた。
女性でなくても、爪は美しくあるべきだ。短ければ短いほど機能的で良い。ある程度爪が伸びていた方が良い場合もあるにはあるだろうが、短ければ不快な汚れが溜まらない。パソコンのキーも打ちやすい。
特に爽快なのは、何か指先を汚す用事をした後、爪を切った時だ。
出窓で育てている苗木の世話をした後だとか、仕事に追われてしばらくやすりがけを怠り、2センチほど伸びてしまった休日、念入りにやすりがけをして粉だらけになった手を隅々まで洗えば、自分が生まれ変わったかのような冴えた気分になる。
そういう意味では私は今日、人生で一番冴えているのかもしれない。
彼女のことは好ましいと思っていたけれど、そういえば、私の趣味とは違う爪をしていた。いつ見ても、長く尖り気味の指先には艶のある色が乗っていた。
それは大変美しいのだけど、やはり機能性からかけ離れている印象から、私はあまり好きではなかった。
でも、彼女に対して「合わない」と感じていたのはそれだけだった。
月に一度、顔をあわせる読書会で私たちはいつもお互いの意見に同調した。
本を読むのに正解も間違いもないけれど、自分と同じ読み方をする人がいればやはりうれしい。自分とまったく違う意見を持つ人と話すのも、もちろん同じくらい楽しい。
昨日の読書会では珍しく、私と彼女の意見はまったくの正反対で、ひどく驚いてしまった。
そうか、そういう読み方もあるのか。
今まで同じ本を読み、同じ思いを抱いたからといって、いつもそうとは限らないのだ。
しかしやっぱり、寂しい気持ちにもなった。
子供じみた自分に動揺しつつ、私は淡い赤色に光る彼女の爪先をずっと眺めていた。
彼女はさっぱりとした女性で、二次会に参加することは稀で、読書会が終わるといつも足早に去って行く。昨日もそうだった。
席を立った彼女を見て、追いかけなければと思った。突然立ち上がったので、少しめまいがした。駅の方に歩いて行く彼女の後ろ姿を追って歩いた。肩を叩いて声をかければいいのに、私はなぜかそうしなかった。
私は静かに忍び寄り、肩ではなく彼女の首元を見据えた。
1センチほど伸びていたせいか、私の爪は彼女の白い首に容赦なく食い込む心地がした。
力を込めて締める、という点においてもやはり、爪が短い方がやりやすいのだ。彼女にもそれが伝わっただろうと満足する。
彼女は終始、困惑した表情だったが、お互いにひとことも交わすことはなかった。
その静けさに一瞬、私はなぜか読書を思った。通りの向こうから車のライトが近づいてきて、それはすぐにかき消されていった。
貴重な友人を失った悲しみに浸るひまもなく、早く爪を切りたい、という思いに駆られた。
汚れの落ちてすっかり美しくなった指先を飽きずに眺め続ける。
そういえば、爪の短い方がページもめくりやすいのではないだろうか?
私はうれしくなって早速、書棚から来月の課題図書を引き出した。(野生)