小学4年の夏休み。
私は台所で『銀河鉄道の夜』を初めて読んだ。
ベランダに繋がる開けっ放しのドアから、真夏だというのに心地いい涼風が
読了後に残った、ぼんやりとした悲しみを優しく撫でていった。
学生生活の夏休みで印象的に覚えている思い出の一つである。
そらから約10年後。
私は再び『銀河鉄道の夜』の旅に出た。
当時は分からなかった悲しみの要因を探るため
菅原千恵子著『宮沢賢治の青春』を地図にして。
『銀河鉄道の夜』そのものを語る前に、宮沢賢治の農林学校時代から語りたい。
何故なら、“銀河鉄道の夜=賢治自身のノンフィクションが隠しきれなかったフィクション”だと思うからだ。
この時期、賢治は保坂嘉内に出会う。
すぐに親友になり、後に絶交し、それでも追い求める、かけがえない存在になる。
嘉内は一年留年後に盛岡農林学校に入学。賢治が室長だった寮に入った。
賢治にとって嘉内は、トルストイや石川啄木などの趣味趣向があったり、
同じ長男であったこと
演劇通だったことが刺激的な存在だった。
嘉内は懇親会で自作の戯曲を披露するのだが、
一番いい役に自分自身、次にいい役を賢治に配役する。
また、同人誌「アザリア」でお互いの短歌を褒め合ったり
夏休みなど一定期間会えなく時期は文通をしている。
宮沢賢治の残っている手紙の中で、嘉内が2番目に量が多い。
(一番目は父親だが、そのほとんどが事務的な内容)
また、ある夏休みに賢治、嘉内、他数名と岩手山へ夜ハイキングへ赴いている。
のち、賢治と嘉内の二人だけでも登るのだが、この夜のことが『銀河鉄道の夜』のモデルとも考えられている。
二人は急速かつ濃密で充実した学生生活を送るのだが、
嘉内の退学処分で、二人の物語は大きく動き出すのだった(つづく)
(sunchild)