良書読書会のしおり

なんばまちライブラリーが惜しまれて閉館したため、新大阪で開催しています。初参加の方大歓迎。現在は季節ごとに開催。

第10回良書読書会記録 津村記久子『ミュージック・ブレス・ユー!!』(6/22)

良書読書会#10 
課題書:『ミュージック・ブレス・ユー!!』(角川文庫 発表2008→文庫化2011)  2019. 6.22@まちライブラリーなんば 発表担当:M/T
《レジュメ》

◆ 人称と視点について(ジェラール・ジュネット『物語のディスクール』(1972)による整理)
人称 ― 最終的な物語内容を誰が語っているか(第五章「態」)
「私はその人を常に先生と呼んでいた。」(一人称)
三四郎は鞄の中から帳面を取り出して日記をつけだした。」(三人称)
 →ただし、三人称と一人称の境界は微妙である。
ジュネットの理論では、どんな物語も『語り手』が『聞き手』に語っていることが前提とされている。このため、いわゆる三人称で物語られる物語にも潜在的には一人称の語り手がいると考えた。つまり潜在的にはすべてが『一人称物語』だと考えたのである。」(橋本陽介『物語論 基礎と応用』講談社選書メチエ、2017年、p107)
(例)実は「一人称」な名作小説 一度しか作中世界に顔を出さない語り手
 フローベールボヴァリー夫人』書き出し 「僕たちは自習室にいた。すると校長が…」

視点(焦点化) ― どこから・どのように語るか(第四章「叙法」)
 ①客観的事実のみ語る(外的焦点化)②人物の内面も語る(内的焦点化)
 (1)視点人物一人(固定焦点)(2)視点人物複数(不定焦点)(3)全員平等(無焦点)

 

津村記久子作品を人称と視点の数で分類してみよう。

『君は永遠にそいつらより若い』・・1人称・1視点(固定焦点)

アレグリアとは仕事ができない」・・3人称・2視点(不定焦点)

「ポトスライムの舟」・・3人称・1視点(固定焦点)

では『ミュージック・ブレス・ユー!!』は??

→3人称・1視点(アザミ視点)のように思えるが、実はチユキがオギウエにフラれる場面(文庫版p.13-23)はチユキの視点である。よって3人称・2視点(不定焦点)。

 

津村記久子ディスコグラフィー(代表作のみ)


『君は永遠にそいつらより若い』(2005) 太宰治賞受賞

「ファウンテンズ・オブ・ウェインというバンドが好きなんだけど、三枚目の九曲めに『ヘイ・ジュリー』という曲があって、わたしはそれをよく聴いてて。上司に小突き回されながらくだらない仕事をしている男が彼女に、君がいなければこんなことには耐えられないって内容で。わたしはこの男の気持ちがすごくわかるような気がする。ときどき、ぼろぼろに疲れて帰ってきた時に、背中を撫でてくれるような絵に描いたみたいな女の子がこの世の中にいるのかな、って思う。わたしは、あの男のことがわかるって思うたびに、でも自分には背中を撫でてくれる女の子はいないんだなって思い出すんだよ。」(ちくま文庫p.205)


Fountains of Wayne, “Hey Julie”(2004) 3rd『Welcome Interstate managers』収録


Working all day for a mean little man 意地悪い上司の下で一日中働いているんだ
With a clip-on tie and a rub-on tan  クリップ付きのネクタイして 肌を焼いた上司にさ
He's got me running 'round the office そいつが俺をあちこち走らせるんだ
like a dog around a track       まるでドッグレースの犬のように
But when I get back home でも家に戻れば
You're always there to rub my back いつでも君が僕の背中を撫でてくれる

Hey Julie, look what they're doing to me ジュリー あいつらが俺にする仕打ちをみてくれ
Trying to trip me up          俺にヘマをやらせて
Trying to wear me down        ヘトヘトにすり切らせるつもりさ
Julie, I swear, it's so hard to bear it   ジュリー 誓ってこんなの耐えられないよ
And I'd never make it through without you around君がいてくれなきゃやってられないよ
And I'd never make it through without you around君がいてくれなきゃやってられないよ

→「安らげる場所」への憧れを歌う。津村記久子作品の主人公たちの心情と共振。(『エヴリシング・フロウズ』の主人公ヒロシが読んだエラリー・クイーンの小説のタイトルは、『心地よく秘密めいた場所』(1971)。)

 

『ミュージック・ブレス・ユー!!』(2008) 野間文芸新人賞受賞


「アザミは、これを聴けこれを聴け、とモチヅキにヘッドホンを押しやり、好きな曲を再生した。
『あ、グーニーズの歌や』
『くだらなくていいよな、それ』」(p.40)
♪Cyndi Lauper, “The Goonies ‘R’ Good Enough”(1985)『Goonies』サウンドトラック収録

→後でモチヅキが語る、『グーニーズ』ノベライズ版で歯の矯正器がからまってキスできなくなるカップルの話と対応。

 

「またあの場[音楽フェス]に行けるのかと考えると、頭のてっぺんから魂が抜けてどこまでも上がっていくような気分になる。去年、リンキン・パークが『ナム』を演り始めた瞬間、隣に座っていた中学生ぐらいの男の子がうっとりと目を瞑って長い長い溜め息をついた。その顔が本当に幸福そうでおかしかったので、あとでチユキに言うと、あたしも見た見た、と二人で爆笑した。」(p.72)
Linkin Park, “Numb”(2003) 2nd『Meteora』収録

→「Numb」は周囲(特に母親)からの過度な期待を歌った歌。


「中学生の頃、『おれって何歳だっけ?』という問いにのせて全裸で町なかを三人のメンバーが走り回るブリンク182のプロモーションビデオを見かけて音楽を聴くことを発見したばかりの自分は、まともなことはほとんどの何も知らないという劣等感も込みで、ただひとつの知っていることとしての音楽について、あたりかまわず喋りまくっていた。それは本当に、誰にも受け入れられなかった。」(p.109)


blink182, “What’s my age again?”(1999) 3rd『Enema of the State』収録


I took her out, it was Friday night  あいつを誘ったんだ、金曜の夜
I wore cologne to get the feeling right コロンを付けて気合いも入れた
We started making out and she took off my pantsあいつがズボンを脱がせてきたけど
But then I turned on the TV     そのとき俺はテレビをつけたんだ
And that's about the time       そのときだった
that she walked away from me    あいつが俺から離れたのは
Nobody likes you when you're 23   23にもなってあなたみたいな人いない
And are still more amused by TV showsまだテレビが見たいわけ?
What the hell is ADD?         いったい「多動性」って何のことだよ?
My friends say I should act my age  年相応に行動しろって周りは言うけど
What's my age again?         俺って何歳だっけ?
What's my age again?         俺って何歳だっけ?

→「ADD」は注意欠陥多動性障害の略称であり、アザミの境遇を暗示。


「『ディヴァイン・コメディの二枚目と、XTCのベストと、ハウス・オブ・ラヴの三枚目…、ちょっと古いのばっかりやな』
XTC以外知らんなあ。ディヴァイン・コメディは名前だけ聞いたことある』」(p.172)
XTC, “Mayor of Simpleton”(1989) 9th『Oranges & Lemons』収録

→トノムラのアザミへの不器用な恋心を暗示?


「ストレイライト・ランの二枚目のアルバムには、すごい好きな曲があって、それこそテイキング・バック・サンデイの一枚目を何回も聴くような感じで好きで、ノーランのボーカルもきりっきりで、ええわーと思うんやけど、『どうか誠実になってくれ。どういう意味なんか、君は何をしたんか、そんでぼくは別人になれんのか。単純なことやわ。打ちのめされていっつもぼくは考えてる。もう死にそうって』なんて殊勝なことを歌うのよなあ。」(p.202-203)


♪Straylight Run, “Soon we’ll be living in the future”(2007)2nd『The Needles the Space』


So please be honest どうか誠実になってくれ
What's it mean      どういう意味なのか
Now what have you done  君は何をしたのか
Can't it just be another risk you're running tonight また違う賭けをしてるのか
It's simple soaked and always on my mind 打ちのめされてずっと考えてる
I'm dying         死にそうだよ


「無意識にブリンク182の『カルーセル』のイントロを頭の中でなぞっていた。『チェシャー・キャット』のバージョンは一分二十三秒もあるそれをアザミは、何かを待たなければいけない時に頻繁に思い出すのだった。[…]五十四秒の、突然リズムが変わるところで、豆粒ぐらいの電車が見えてきた。」(p.233)


Blink182, “Carousel”(1995)1st『Cheshire Cat』収録


Just you wait and see 君が待っていて見ている
As school life is a   というのも学校生活は
It is a woken dream    醒めた夢なんだ
Aren't you feeling alone?    寂しいのかい?
I guess it's just another      たぶんそれはまた
I guess it's just another      たぶんそれはまた
I guess it's just another night alone たぶんそれはまた孤独な夜なんだよ

→学校生活の終わりにかかるのにぴったりの曲。チユキと別れて寂しいアザミの心情をも表している。

 

ここまでのまとめ:アザミ自身は特に意識していなくても、アザミのかける曲や思い浮かべる曲は作品のテーマやその時の状況を表現している。映画のサウンドトラックに似た役割。また一般的に有名でない曲も多いだけに、たまたま同じ曲を知っている読者に強烈なリアリティーの感覚を起こさせる(ビートルズボブ・ディランなど有名曲をよくモチーフに使う伊坂幸太郎との対照)。

 

◆ 『ミュージック・ブレス・ユー!!』あらすじ
1章

p.5-13 アザミ(桶谷字美)とバンドのボーカル・さなえのケンカ。スタジオ受付のメイケくんに心配される。
p.13-23 チユキ(川柳)とオギウエの会話。金井夏芽(ナツメさん)と木下さゆみ(キノシタさん)が通り過ぎる。「おまえさあ、やっぱ太ったよな」と言われ、チユキがフラれる。(チユキ視点
2章

p.24-32 高校でホームルーム中のアザミとチユキ。オギウエとの一件を聞く。
p.32-43 歯医者でモチヅキと会う。帰りの電車でモチヅキが音楽に興味を持ち、意気投合。モチヅキの友人・トノムラ(外村宏)のことを聞く。
p.43-52 家庭でのアザミ。母親に叱られる。アニーからのメール。
3章

p.53-63 メイケくんのバンドのオーディションに落選。アヤカちゃんが電車内で痴漢されそうになっているのを助ける。メイケくんの話をして、メールを送る。
p.63-72 チユキとの勉強の帰り道、ナツメさんが男といるところを見る。進級テストに駆け込んでくるオギウエ。アザミはオギウエの答案をのぞくと、白紙だった。トノムラが試験ぎりぎりまでヘッドホンを外さないことへの尊敬(?)。チユキと野外フェスに行く約束。
p.72-81 アザミ、オギウエが不正をしたことを温厚先生と柔道部顧問に直訴。東京弁先生にフォローされる。
4章

p.82-93 アザミのアメリカアイドル論、研究発表会で取り上げられる。文化祭が中止になった原因である去年の事件が語られる。アザミとチユキの鉄槌。
p.93-103 研究発表会でトノムラがアザミのレポートに興味津々。チユキが語るトノムラ像、ほぼアザミと一致。アヤカちゃんとも会う。学食でメイケくんを見かける。
p.104-116 アザミが歯医者に行くとモチヅキとトノムラと会う。トノムラの音楽の趣味。「このトノムラという人間は自分より恥ずかしいかもしれない」(p.110) モチヅキの歯の矯正外れる。トノムラがテイラー・スウィフトに横恋慕しているのを知る。
p.116-126 泉の広場で泣き崩れているナツメさんから、別れ話を聞く。意気投合。
p.126-137 モチヅキ、矯正器が外れた勢いでキノシタさんに告白するが玉砕。アザミ、モチヅキをホテルに誘うが失敗。公園でのカップルのぞきでメイケくんとアヤカちゃんを見てしまう。アザミ、ふられても何とも思えない。
5章

p.138-144 中間テスト前後から調子が悪いアザミ。チユキにメイケくんとアヤカちゃんがカップルだったと話しても、考えがまとまらない。「なんであたしはこんなに自分のことがわからんのやろう。」(p.144)
p.144-154 チユキのアヤカちゃん襲撃。「これはあたし自身のこと」(p.152) アザミ、帰宅後アヤカちゃんに電話する。
p.154-164 アザミ、ナツメさんに呼び出され、一年前の事件を告白させられる。ナツメさんのアザミへの感謝。ナツメさんの言葉から卒業を意識する。
p.164-169 チユキ、事件の影響で金沢の国立大に進路変更。忙しくなる。
p.169-180 クリスマスにCD屋でトノムラと会う。「音楽は恩寵だった。」(p.173)単身赴任中の父親とともに家族団欒。家族は進路への期待無し。
6章

p.181-189 東京弁先生の進路相談。トノムラと同じ大学に出願することに。トノムラへの共感。
p.189-196 ナツメさんに頼まれて元カレの彼女を見に行く。女子大附属中の中2だったのでドン引き。チユキをナツメさんに引き合わせようとするアザミ。
p.197-205 トノムラとともに受験に行く。「あたしには将来のことなんか考えられへん。というより自分のことを考えられへん。そんなことを考えるぐらいやったら、バンドのことを考えていると思う」(p.202) トノムラの共感。
p.205-215 合格発表で不合格。東京弁先生に報告した後、帰宅。母親と話す。小学校時代の思い出。「あのおっさんの言うことなんか構いな、好きにし」(p.212)
アニー、友達が死に、ブログ停止。アザミ、アニーにお悔やみのメールを書こうとする。
p.216-222 卒業式。アザミ、チユキ、ナツメさん、キノシタさんで映画(ちなみにコーエン兄弟監督『トゥルー・グリット』)とケーキ。
p.222-234 アザミ、歯の矯正器外れる。モチヅキとトノムラの励まし。
アザミ、チユキを見送る。「ほんならまたね」「しっかりね」(p.232)
チユキと別れた後、ヘッドホンの充電切れに気づく。ヘッドホンをつけずに頭の中でブリンク182「カルーセル」を再生する。電車に乗るアザミ。車窓から「世界」を見る。

 

あらすじの特徴

・1章や2章は短いが、6章に向かうにつれ分量が長くなっていく。アザミが人間関係を含めさまざまなものを得て書かれる内容が多くなっている。

・後に重要となる人物は、だいたい最初の2章で一度登場している。加えて、アヤカちゃんが研究発表会に来る場面でメイケくんを学食で見かけることが2人が付き合っている伏線になっているなど、アザミが気づかないことでも読者が注意深く読むと気づくように伏線が張られている。構成の妙。

 


《発表者からの質問》

① 『ミュージック・ブレス・ユー!!』の、デビュー作『君は永遠にそいつらより若い』や他の津村記久子作品との共通点である、他の音楽小説にはない特徴は何ですか?(そして一箇所ある例外の意味は何でしょう?)

② アザミとチユキの共通点は何ですか?また、相違点は何ですか?

③ アザミは誰のことが好きなのでしょう?

④ 『ミュージック・ブレス・ユー!!』のテーマを「音楽」と「青春」以外にあげるとすれば何ですか?

⑤ アザミにとって音楽とは何でしょうか?

 

《読書会の模様》

まちライブラリーなんばでの開催で、以前からの参加者8名が参加しました。新規参加予定の方が急に都合がつかなくなった結果なのですが、たまたま読書会で何度も会ってお互いの読み筋を知っているメンバーが集まったため、後に見るような丁丁発止の(時には暴走気味の?)議論が展開され、全10回の中でも最も記憶に残るほど面白かったです。
最初に津村記久子ファンの主催者兼発表者が津村記久子作品と音楽の関わりについてふれ、実際に会場で音楽も流しました。その後にあらすじを振り返り、津村作品の繊細なリアリティーと、ドラマチックなことを特に起こしていないのに読ませる筆力を称揚しました。(「好き」1票)

そこから参加者が順に感想を言う時間となったのですが、好きだったか嫌いだったか面白いほど感想が割れたので選挙結果開票速報ふうに疑似実況してみようと思います。しかし単なる「好き」「嫌い」を超えたところで、全員が津村記久子の実力を認めそれに感服していたのもとても良かったです。

発表者に続き2人目のMさんは、三人称小説なのになぜか最初一人称としか読めなかったという錯覚を語り、その原因が「大阪弁の心内語が多用されながら女子の日常生活が語られる」という点にあるのではとおっしゃいました。この小説の方言の使用は重要な問題で、三人称の語り手がアザミの心情を描写しているのか・アザミが直接語っているのか見分けがつかない場面も多くあります。逆に言えばそれが独特のグルーヴと読者の感情移入を生んでいるという意見も出ましたが、Mさんは個人的な意見と断ったうえで「視点人物がしゃしゃり出てくる系統の小説があまり好きでない。群像劇で全員の個性が引き立つような小説の方が好き」とおっしゃっていました。(「好き」1票・「嫌い」1票)

3人目のOさんは、読み終えたが特に印象に残るようなことはなかった。自分はアザミよりは対人関係を含め「できる」部分や能力が多いし、そんな自分からするとアザミのことは心配だけど、だからと言ってどうすることもできない。むしろ感動したという人にどこに感動したのか聞きたい、という感想でした。4人目のKさんも同趣旨で、「高校で違うグループに属してるけど席が隣の女の子の話を、『え、そうなん?それでどうしたん?うそー!』と相槌打ちながら延々聞いている感じ」と、この小説独特のリアリティーとある種の「起伏のなさ」を絶妙の例えで表現したうえで、次々と読めるし構成力や筆力はすごいけど個人的には「興味がない」(!)、アザミは変わっている子として描かれているけど実際どこにでもいるもにゃもにゃした女子で普通より少し変わっているだけ、とおっしゃいました。(「好き」1票・「嫌い」3票)

5人目のSさんは、自分はこの小説は嫌いなのだけれど、そんなにも何かを積極的に嫌いになることは自分としては珍しい、だから理由を考えてきました、と3000字におよぶ感想文を提出され、「好き」サイドからそれはもはや好きでしょ!とツッコまれていました。嫌いな理由として、①「頭のいい人」や「大人」の役割をするキャラクターが作中に登場しないため、アザミの世界と対立するような葛藤が存在せず、結果としてアザミの一年に「通過儀礼」的な重みがない、と指摘されました。例えばスティーブン・キングスタンド・バイ・ミー」でのクリス少年のような、周囲の状況を見て適格に判断し時には年上とも互角に渡り合える人物は確かにアザミの仲間にはいません。登場する年長者も、アザミに何も期待しない両親をはじめバンドの大学生や生徒に興味ない担任の先生、柔道部顧問、痴漢のおっさんに至るまで確固とした責任感を持っていないように見える人ばかりです(「東京弁先生」は数少ない例外ですが、あまりに関わりが薄い)。Sさんは、これが2008年当時の日本のリアルを写し取っているかもしれず、自分が苛立っているのはそういう社会の状況かもしれない、その意味でとてもよくできた小説であると思う、だけど嫌い(笑)、とおっしゃっていました。(「好き」1票・「嫌い」4票)

またSさんの嫌いな理由は他にもあり、②冒頭でバンドが解散されることからわかるように、「祝祭的な時間」を全く描いていない、と指摘されました。Sさんもお好きと言われた恩田陸であれば盛り上げるだけ盛り上げそうな「文化祭」はあっさり中止、しかもその原因はアザミとチユキの一年前の行動(セクハラ気味な他校の男子高校生をトイレに監禁した)のせい、という行き場のなさです。合わせて、③この小説は女性が世間(特に男性)から「型」にはめられる生き苦しさを描いている、とも指摘されました。繰り返し「太った」とオギウエに言われるチユキ、ロリコン彼氏に搾取されるナツメさん、痴漢被害に遭うアヤカちゃん、そして赤髪で歯の矯正をしていて可愛くないからとバンドに落とされるアザミ、と受難の続く女子たちのエピソードは、フェミニズム的に読む可能性に開けています。この②・③とも、発表者の設問の答えに迫る重要な指摘でした。

ここから「好き」派の逆襲が始まります。6人目のYさんは、自分がアザミとほぼ同学年であること、アザミとモチヅキがカップルのぞきをしていた公園が自分の通っていた高校の近くに実在するもので、リアルに感じて引き込まれた。しかしフィクションである小説において「大阪の地名」などを織り込む津村記久子のスタイルは、すごいと思うけど小説としてどうなんだろう、とおっしゃいました。これに対しては、従来型の「仮想現実」に対して現実とフィクションが相互浸透する「拡張現実」(ポケモンGO京都アニメーション、『君の名は。』と『シン・ゴジラ』における風景の利用など)のような捉え方を先取りしているのではという意見も出ました。そこから発展し、『ミュージック~』のリアルさは、読者が語り手の位置に組み込まれていることから来るのではないか、という新鮮な読みも出ました。この小説は三人称だが、実はアザミの同級生がアザミのことを語っているようなリアリティーもある。そしてその語り手は読者であってもよいように設計されている、というのです。

Yさんは全体的に熱烈な「好き」派で、嫌いや無関心と言う人にラストシーンをどう読んだか聞きたい、あそこで感動しなかったのか、と質問されました。(「好き」2票・「嫌い」4票)これには、別にあそこで何かが変わったとは読めなかった、という落ち着いたものから、いやあんなん泣くやろ、という感情全開のものまで様々な意見が出ましたが、一番面白かったのは「わたしはバッドエンドと感じた」という感想です。自分が好きなものを人生の中に持っていることは良いが、ラストのアザミはそちらの世界(音楽)に取りこまれ、それなしでは生きていけなくなると感じた、と。これに対しても、最後のシーンはアザミはヘッドホンをせずに音楽を聴いている、つまりそれは音楽が滅びても音楽がアザミからは消えないということであり、アザミが取り込まれるということはもはやなく、アザミの中に音楽があるのだ、という反論もありました。またあんなん泣くやろ、ともう一回言っていた人もいました。泣かないとか無縁社会、とYさんは言っていました(笑)それに対し、もともと友人だったOさんとKさんは「Kの方が他の女子といる時早く帰る。なんなら一番先に帰る」「いやいやOだって!」などと身内の売り合いをしていました。

ラストシーンをめぐっては、カーテンが全開で光が入ってくるのではなく、隙間から光が差し込んでくるイメージで読んだ人が多かったように思います。確かに小説的葛藤は少なかったですが、アザミがたどり着いた僅かな成長(の予兆のようなもの)は描かれていると。もちろんこれからどうなるかは誰にもわからないのですが、ラスト二行で唐突に出てくる「世界」の語とそれをも流し去る「音楽」のイメージは、それまでの(あえて)淡々とした進行とのコントラストで感動的です。映画のラストシーンだったらここでタイトルが出て画面が暗くなりエンドロール、とイメージした人もいました(余談ですが、読書会後の打ち上げでは「映画化したら国内では新宿武蔵野館第七藝術劇場の2館ぐらいでしか公開できないからサンダンス映画祭に持って行って世界で売る」、ともう自分が映画化したかのように語っている人もいました笑)。

さて7人目のOさんは、自らの子育ての経験から、アザミが小2か小3の時に担任の先生に心無いことを言われ、診断を受けに病院に行く、という小説後半での回想部分に着目され、親として感動したとおっしゃいました。Oさんのお話には「実際小2の担任には"ハズレな人"が多い」など細部に津村作品以上のリアリティーがありました。自分の子供がADHDだ(という言葉もまだ今より普及していない頃のお話ですが)となった時、どうしてやれるか。それを受け入れてあなたはあなたでいい、と承認するアザミの母親の態度に共感する、とおっしゃり、一同感動、この一瞬は「好き」派が勝利したかに思えました。(「好き」3票・「嫌い」4票)

アザミの両親については、しかしアザミが高三になっていても同じ態度で接していていいのか、という疑問も出ました。Oさんは、確かにそれはそう思う、とおっしゃっていました。「葛藤のなさ」というこの小説の特徴がまた違う角度から浮き彫りになった形です。またOさんは音楽をこんなに聴ける・インターネットで海外のアニーと周期的にメールのやりとりをできる・歯の矯正に行かせてもらえているなんてアザミの家庭はそもそも恵まれていると思う、と鋭敏な読みを披露されました。Sさんは、自分も音楽ファンだからわかるが、アザミのスキルは音楽ファンとしてかなりの才能だ、環境も整っているのにそれを活かしていないのが悔しい、そういうやっかみもこの小説が嫌いになる原因か、と自己分析されていました。そうなると一番共感できるのはトノムラかな、と。

最後のIさんが「投票」して勝負が決まる前に、主催者が短くまとめと設問の整理をしました。まず、この小説の美点は、Sさんが「嫌い」と感じたドラマチックな展開(祝祭的な時間)の意識的な排除と細部に宿っているリアリティーにあること。特に強調したのは、チユキと別れる場面の「ほんならまたね」「しっかりね」という何気ない声かけの美しさです(アザミのような友達がいれば、愛情を持って「しっかりね」と言いたくなりません?)。そしてこの小説はアザミの成長小説と言うより、アザミが何気なく一緒にケーキを食べに行く仲間を手に入れるまでの小説だということ。そんなに仲が良いグループになるのではなく、もしかするともう同じメンバーで集まることはないかもしれないけど、だからこそ貴重な瞬間だと読者には思えます(このあたり、前回の『横道世之介』を思い出しました。)

設問②の「アザミとチユキの共通点」に関しては、二人とも世間から見て変わっていること、そして読書会で出た言葉では「型」にはめられようとしてそれに抵抗すること。「相違点」は、文化祭の事件やアヤカちゃんの髪にガムを付ける事件、タバコの吸い殻を落とした女性のハンドバッグに入れる悪戯など、チユキの方が一瞬の暴力として突出すること。

設問③の「アザミは誰のことが好きか?」に関しては、「ホテルに誘ってるしまずはモチヅキでは」「チユキとの間には友情を超える絆があり、だからチユキがアヤカちゃんに攻撃するのでは」「アザミは結局自分が好きなんだと思います」と様々な意見が出ました。一方自分に向けられる好意について、トノムラはアザミのことが好きだと読めると思うのですが、アザミは気づいていないようです。

さて最後、8人目のIさんの番となりました。これでIさんが「好き」と言えば同点です(最初は読書会と関係のないお遊びとして票を数え出したわれわれでしたが、この頃にはわりと勝敗にのめり込んでいました笑)。Iさんはおもむろに「自分が芥川賞の審査員で、たとえば石原慎太郎だったりしたら―」と切り出しました。

「この小説が応募されていて、他の小説もあるとする。そしたら僕は絶対この小説に賞をあげると思います(「好き」派の勝ち誇った「よっしゃー!」の声)。テクニックでは、ほとんど欠点がない。文章も素晴らしい。でもね、僕はこの小説、嫌いですね」

 

嫌いなんかい!!!

(最終結果:「好き」3票・「嫌い」5票)

 

ショックすぎてIさんが「嫌い」と言った理由はほとんど覚えていません。とまあこんな感じで時間になりまして、過去最高に意見が飛び交ってとても楽しい時間でした。たった200ページほどの小説でここまで違った意見を引き出させるとは、本とはなんと凄いものだろうと実感しました。その意味では、『ミュージック・ブレス・ユー!!』は本当に良書なんだと思います(どことなく、落選した候補の選挙後の負け惜しみのようで嫌ですが…)。

 

会場の都合で話す時間がなく、打ち上げでしかできなかった答え合わせ(設問①④⑤)。※個人の感想であり、読みの一例にすぎません。

① 『ミュージック・ブレス・ユー!!』の、デビュー作『君は永遠にそいつらより若い』や他の津村記久子作品との共通点である、他の音楽小説にはない特徴は何ですか?(そして一箇所ある例外の意味は何でしょう?)

→ 答えは「一人で音楽を聴くシーンしかない」です。ちょうどこの翌日に京都・大阪市民読書会の課題書だった津原泰水ブラバン』が「みんなで楽器を練習する」小説なのに比べると、いかに津村記久子が独自の道を行っているかがわかります。ありがちな「いろいろあったけど最後はバンドで文化祭に出て演奏する」という『スウィングガールズ』~『BECK』的な筋書きの対極として、アザミのバンドは1ページで解散し、楽器(ベース)を練習するシーンすら描かれず、することと言えばひたすら音楽を聴きそれについて話すのみです。モチヅキと電車内で「グーニーズの曲」という同じ曲を聴く時ですら、ヘッドホンをモチヅキにかけさせているため一緒には聴いていません。津村記久子にとって音楽とは一人で聴くものなのです。

例外は、回想として織り込まれる去年の野外フェスのシーン。しかしここでも、リンキン・パークに恍惚とする少年は一人で音楽に向かい合い陶酔するように描かれています。だからその姿を見てアザミは自分に自信を得るのです。

⑤ アザミにとって音楽とは何でしょうか?

→作中に明言されている言葉では「恩寵」であり、また「外部からのシェルター」でもあります。へその緒を思わせるコードがついたヘッドホンを必要としなくなったラストシーンからは、また新しいアザミと音楽との関わりが始まるかもしれません。

④ 『ミュージック・ブレス・ユー!!』のテーマを「音楽」と「青春」以外にあげるとすれば何ですか?

→性差別をしてくる男たちに対抗する、女たち同士の連帯。作中で好ましく描かれている男性はトノムラであり、「寝ているおっさん」であり、無害な存在です。そうでない男性に対しては、アザミとチユキがしたような逆襲が待っているでしょう。

 

参加された皆さん、興味深い議論をありがとうございました。次回は7月20日(土)15:00~、同じまちライブラリーなんばを会場として京極夏彦魍魎の匣』の読書会を行います。それではまた次回お会いしましょう!(M/T)