良書読書会のしおり

なんばまちライブラリーが惜しまれて閉館したため、新大阪で開催しています。初参加の方大歓迎。現在は季節ごとに開催。

良書読書会のおきて

第一条

 

「それでは、全員揃ったようですので、今月の定例会を開催したいと思います」

 

主催者の陰気な声に、開始時間ぎりぎりまで未練がましく課題図書を読み込んでいた私は顔を上げた。

「Bさん、いいかな?」とこちらに問いかける声色はいかにも物腰が柔らかそうだが、騙されない。正面に座る私にだけ見える仮面の奥にある小さな目は、こちらを鋭く睨んでいる。

負けじと睨み返すが、主催者には私が目尻の下がったおかめにしか見えていないのだと諦め、仮面をほんの少し浮かせてため息をついた。

憂鬱な二時間のはじまりである。

 

かつてAだった主催者の男は、先月定例会を任されはじめてから明らかに態度が大きくなった。

もともとの主催者だった男の横で静かに座っていたころはただの陰気な奴だったが、今やその陰気は陰湿に変容し、元主催者より手に負えない高慢さで参加者の発言を遮り、意見を否定し、高らかに自説を述べるようになって、痛々しい。

何とかしなければという気持ちは山々なのだが「前提」がある以上、ほかの参加者と結託するのは難しい。さらに、彼を失脚させるには第二十一条の壁が厚い。

元主催者がいなくなってしまったからこの男が権力を振るうようになったのに、この男を追い出すには元主催者の存在を欠くことができない。その矛盾が我々善良な参加者を袋小路に追い込んでいる。

元主催者がいたころの和気あいあいとした定例会が懐かしくなり、いつもにこやかだった彼の笑顔を思い出そうとするが、頭に浮かんだのは彼によく似た、子どものころ正月に遊んだ「福笑い」だけだった。

 

福笑い。なぜだか私は、あれが大の得意だった。

兄弟や従兄弟とやると、いつも私の一人勝ちだった。

福笑いは間違えるのが楽しいゲームなのだということは知っていた。だから目や鼻や口といったパーツをいつもかなりランダムに、放るように紙の上に置いているつもりなのだが、目隠しを外すとほぼ正確な位置にそれらがおさまっており、完成したおかめがにんまりとこちらに笑いかけてくるのを見てげんなりしたものだった。

兄のように顔の輪郭からずっと遠いところに目を置いて突っ込まれたり、従兄弟の正ちゃんのように叔母さんそっくりの顔を作ってみんなに笑われたりしたかった。

だが何度やってもだめ、私は福笑いにおいてセンスがあるともいえるし、全くセンスのない奴でもあった。毎年毎回、あまりにも私が難なく完成させるので、だんだんとインチキを疑われ、いつからか福笑いの時間になると「あっちに行ってろ」と仲間はずれになるようになった。

誰も相手にしてくれない正月の昼下がり、私の相手をしてくれたのは本だけだ。

私にとって福笑いは、読書の象徴である。

 

我々「良書読書会」の元主催者は、先々月の定例会を最後にいなくなってしまった。

細かく言えば、定例会の真っ最中に突如円卓を叩いて立ち上がり、意味のわからない奇声を上げながら出奔した。第一条に則り、誰も後を追いかけず定例会を続行した。

私はその時、ひとつだけ言葉を聞き取ることができた。

たしか「運営費」と言っていたように思うのだが、我々に必要なのはレジュメを印刷するコピー代くらい。何度断っても何かのまじないのように執拗に紙コップに注がれ続けるミネラルウォーターは元主催者の自費だったし、そもそも会場は市の公民館を借りているので無料である。

一体なぜ、どこへ、という疑問はあるのだが、思えばもとより意味のわからない男だったから、彼について考え、答えを得ようとしても徒労に終わる気がする。

 

読書会を立ち上げ、五人の参加者を束ねるところまでは彼はほかの読書会主催者と何ら変わらない。

しかし彼はさらに、読書会のはじまりとともに数々の「法律」を定めたのだった。

第一条から第二十四条まであるその決まりごとを破れば、参加者はもちろん主催者であっても即退会となる。

さらに「前提」として、我々はこの読書会においてお互いの顔を隠し、その他の個人情報も一切明かしてはならないというルールも守らなければならなかった。

「法律」違反は退会で済むが、「前提」を覆した者は退会どころか、以後関西のいかなる読書会からも締め出されるともっぱらの噂である。

我々の読書会がほかの読書会とは全く異質なのはそのためで、ここでの私はおかめのお面をつけた「読者B」だ。

勇気ある参加者が「なぜそんな決まりごとが必要なんです?」と聞いたら、彼は「目の前の課題図書だけに集中できる環境を作りたい、参加者の年齢や職業で発言に色がつくのを避けたい」と言ってその参加者を「ほう」と納得させ、「あと何だかその方が雰囲気出そうだしかっこいいから」と締めくくって、その場にいた全員を白けさせた。

 

元主催者は自分の定めた法律を自分で尊び、自身を「立法主催者」と呼んでいたが、かつてAだった男以外の参加者は、いつか彼が帰還し、第二十三条のもとAだった男を追放し、再び主催者の椅子におさまる未来を願い、彼を「象徴主催者」と呼んでいる。(野生)